黒っぽいスーツ、白いシャツ、ストライプのネクタイ。
靴は汚れている。髪の毛は短く、横には白髪が目立ち、上部は薄くなっている。
このスーツ姿の男性はタカシ、大手企業の営業マンだ。
ヨシオにはタカシの身なりは目に入っていない。
それどころか、初めて入ったこの客に、まるで気がついていないかのようである。
「ここに座っていいですか?」
タカシは五角形のテーブルの一辺をさして言った。
テーブルの上にはスポーツ新聞が置いてある。
「あ、いらっしゃい。好きなとこ、どうぞ」
タカシが入ってきても、店の空気は何も変わらない。
串カツ”ゲット・バイ”では、
初めての客が来ても、
常連の客の客が来ても、
五角形のテーブルに一人でも、五人でも、
なぜか、
流れている空気は同じだ。
店の中にいる誰もが、
同じ時間、
店の外よりも少しゆっくり進んでいるように感じる時間、
を共有することになる。
タカシが生ビールを注文し、ヨシオがジョッキをテーブルに置く。
ジョッキが何処から出てきたのか、
テーブルの上に置かれた時に、
ゴトンと音がしたのか、
ストンと音がしたのか、
それとも音がしなかったのか、
タカシはそんなことを気にすることもなく、
今は、スポーツ新聞が横の椅子の上にどけられ、
テーブルの上には生ジョッキが置かれている。
「ぷふぁ、やっぱ奈良のビールは美味いな」
アサヒのスーパードライを飲んで、
あえて奈良のビールと言うということは、
何か意味があるのだろう。
「出張ですかい?」
短いヨシオの質問に対して、
タカシは滔々と話を始めた。
タカシは大手企業の大阪本社で20年間営業を担当、
うち最後の2年は課長として関西全域を担当していたが、
3年前から九州支店に転勤になったそうである。
「で、今の上司が、大阪本社にいる、
私より6年あとに新卒で入社した後輩、
つまり私が大阪にいた時の部下ですわ。」
「素直な奴でね。みんなに可愛がられて、
客にも好かれて、出世して。
私が九州に転勤になって後任としてそいつが大阪で課長、
そんでそのまま出世して、今ではあいつが大阪で部長、
全国の支店の課長は全員、
私含めて、奴の部下、ってことですねん。」
タカシは嬉しそうに話をする。
誰かに話を聞いてもらいたかったということはあるだろうが、
嬉しそうに話をする内容でもないような気もする。
「そんで、そいつから、
奈良で難しい仕事があるから、
助けてくれって言われたんで、
久しぶりに九州から出張で戻ってきましてん。」
「農家の人の大事な土地を購入するっていう話でね、
農地法の関係もあるし、
持ち主の気持ちもあるし、
役所との手続きもあるしってことで、
大事な仕事を任せてもらったってことですわ」
タカシが話を続ける間、
ヨシオは串カツを揚げながら、
ところどこで相槌を入れる。
「もちろん、仕事はやりますよ。
私しかできない仕事ですからね。
ただね、久しぶりにこっちに帰ってきて、
昔の仲間達にあって、いろいろと話をしたんです。」
「そしたらね、奴がね、
部長がね、いつも口癖のように、
私が居てくれて助かるって、
本社でいろんな人に対して言うてるって、
昔の私の部下とか同僚たちが言うんですわ」
「後輩が上司になったことを多少は妬んどりましたけどね、
ああ、
いい奴を後輩にもったな、
いい奴を上司にもったなって
今は思うとるんです。」
「仕事は、身分でもなく、金でもなく、やっぱ”ココ”ですよ」
タカシは心臓を親指で差しながら言った。
カラン カラン カラン
常連のキヨミが店に入ってきた。