アメリカの映画を見ていると、よく”English please”とか”English!”といったセリフがあります。
説明を聞いていてもわからないから、もっと分かりやすく説明をするようにという依頼や指示だったりします。
伝える側の情報と、伝えられる側では、持っている情報が違います。そのことを伝えるために、Englishという言葉を最初に用いた人はウィットに富んでいるな、と感じます。
氷山の絵がよく使われますが、見えているものは全体のごく1部。見えていないものを見るためには、あえてよく見ようとしなければなりません。
昨日、6年ぶりに大恩人に大阪でお会いすることができました。
この6年間で会社が大きな成長をされており、大変な刺激をいただきました。一緒に海外を訪問した時のお話をした際、その国で私には見えていなかったものが、大恩人には見えていたことを知り感服するとともに、同じ時間を過ごしながら、と自分の実力不足も感じました。
写真は大阪・関西万博のボランティアのユニフォーム。
昨年は会場ボランティアと大阪まちボランティアの両方に参加させていただきました。
万博の入場ゲートが開くと、入場してこられる方は全員笑顔です。ボランティアとしてゲートの中で、入場者をお迎えする側にならないと、このたくさんの最高を笑顔を見ることができません。
万博にはボランティアとしても参加者としても行きましたが、立場が違えば見えてくるものが全く違います。
万博終了後も、新聞を通じて、万博をきっかけとした取り組みがいろんなところでおこなれていることを知ることができ、何回も万博に行きながらも、見えていたのはほんの一部だったな、と痛感をしています。
今、目の前にあるものにも、その後ろには見えていないものがある。一つ一つの仕事も、全部そうだと考えると、すべての物事には、いつまでたっても、終わりがないな、と思います。
