1.成長と持続
明治維新以降の日本経済の成長は化学工業と切り離して考えることはできないと思います。
戦時下に戦況を 伝えた新聞とともに発展した製紙産業、紙幣の発行に不可欠であった印刷技術、石炭を採掘する 坑夫の足を守ったゴム底、軽工業そして新規産業の育成に多大な貢献をした人絹そして合成染料。
他にも、海外から積極的に技術を取り入れ、そこから独自の化学物質とその合成技術を培ってきた企業がたくさん、今も存続して日本の化学産業を支えています。ケミカルの技術は自動車、機械、電子部品、医薬などあらゆる産業において使われており、ケミカルの技術なくして日本の産業の発展はあり得なかったと言っても過言ではないと思います。
一方で 2012 年にケイト・ラワース氏がドーナツ経済学を唱え、国連が SDGs を定めたように、 グローバルの経済活動は右肩上がりを目指す Growのみが望ましいのではなく、健全さを目指す Thrive の方向が求められています。
それに伴い化学工業に期待される役割も変わっています。大きな釡で大量に、そして安定的に合成し続けることでコストを下げて人々の生活を豊かにし続けることが必ずしもすべてではなく、人々の健康の増進と地球環境の保護に寄与する活動を行うことが同時に必要とされるようになっています。
Thrive を目指す経済に対してどのように事業を適応していくのか、考えなければならない局面に来ています。
2.アグリゲーター
脱炭素、そして地球資源に直接関わることを誰もが認識しており、産業の規模も大きく人々の生 活にも直接影響するエネルギー産業は、SDGsが唱えられる遥か前のオイルショックの頃から産業構造の転換をずっと迫られてきました。
エネルギー産業において、再生可能エネルギーとしての太陽光、風力、潮力、地熱発電の導入、夢の技術としての核融合の開発 など、新たな取り組みは着実に進んでいるものの、いずれも長期的な取り組みで現時点で化石燃料の枯渇と増大するエネルギー需要を賄えるものになっているとは言うことはできません。
エネルギーの分野では短期的な効果が期待できる仕組みとして、ネガワット取引とい う、節電することで必要なくなった電力を取引する制度が始まっています。日本でも2017 年 4 月から「ネガワット取引市場」が創設されネガワット取引が行われてきました。2022 年 4 月から は特定卸供給事業者(アグリゲーター)制度が開始され、アグリゲーターが司令塔となって電力需給のバランスコントロールを行う取り組みが始まっています。
アグリゲーター制度は、従来のようなピーク電源に合わせた発電からの脱却に向けて、デマンドレスポンス(DR)やバーチャルパワープラント(VPP)を最大限活用できる仕組みとして期待がされています。
2022 年、 政府による節電要請が出され、電力需給の逼迫状況をリアルタイムで確認できることを私たちは体験として知りましたが、同時にネガワット取引がまだまだ市場に定着していないことも明らかになりました。電力の需給調整市場への参入要件の見直しや新たな約定のロジック導入の検討が進んでいます。
アグリゲーターのエネルギーの課題へのアプローチは、ハード面ではなくソフト面からのアプローチとなります。化学産業も、こういったソフト面からのアプローチを学ぶことがあるのではないかと思います。
化学産業においては上流工程に行けばいくほど、主産物だけでなく副産物も生み出すことになります。副産物は 産業廃棄物である場合もあれば、他のケミカル製品の原料となることもあります。Grow を前提とし た経済においては、主産物であれ副産物であれ、一定の生産物を安定的に購入してくれる顧客を確保し続けることで収益の見通しを立てることができました。ところが今は二酸化炭素排出量、スラッジ発生量に対する締め付けが厳しくなる一方で、少なくとも国内市場に限っていうと 需要は減少する傾向にあります。今後は、何かしらの形でサプライヤー同士が連携して市場の変化に対応していくといったスタンスが必要になってくるのではないかと思います。
一般消費者が認識すらしていない化学物質でも、その供給が一旦ストップすると、様々な産業に甚大な 影響を与えることになることは東日本大震災で明らかになりました。化学メーカーは規制の対象とな りやすいですが、それにより、もしある一つの製品が供給できなくなると、予測できないところで重大な悪影響を及ぼす可能性があります。
需要の変化に対する頑強性を維持していくためにも、アグリゲーターのようなソフト的な役割が化学産業において重要になっていくのではないかと思います。
3.商社のソフトパワーへの期待
明治維新後の経済成長を牽引したのは財閥です。
鉱業、造船、電力、製紙などいずれも軍需と結びついて官民一体となって産業が構築されてきました。戦後、財閥は解体されたものの、財閥の名残を持つ大手商社が国内産業を横断的に結びつけ、海外の進んだ技術を日本に取り入れ、日本の 優れた製品を海外に輸出してきました。
商社は新たな製品が誕生すれば新しい顧客を見つけ、新たな 製品開発のために新たな素材が必要となればそのサプライヤーを見つけ、必要に応じて在庫を行い、資金を融資し、貿易実務を行い、為替リスクを負い、などして、都度生まれる課題を解決しつづけてきました。まさにハード面ではなくソフト面から産業振興に寄与してきたと言えるのではと思います。
商社という考え方は海外の企業には理解されにくいですが、日本においては商社を活用することなく発展することができた企業はあまり存在していないのではないかと思います。大手商社が持つソフトパワー は日本固有の絶対的な強みであると言えるのではないでしょうか。
Thrive の方向に向かっていく中で、大手商社の持つソフトパワーは、日本ならではの解決策になると思います。
高度成長期の日本の成長力の源泉は、女工の器用さ、職人による技術の継承、終身雇用制度によって醸成される精神面に支えられた勤勉さ、新しい技術を積極的に海外から学ぶ貪欲さ、それを応用して独自のものにできる柔軟性といったソフト面にあったのではないかと思います。
自動車や電気・電機等のハードウェアで世界市場を席巻し、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた日本 も、インターネット、モバイル、プラットフォーム、IoT 等のソフトウェア産業では欧米の後塵を排し、現在6.5兆円ものデジタル赤字になっているとのことです。世界市場における経済面での日本のリーダーシップ、さらには将来性を懸念する声も上がっています。しかし官僚が商社と連携して築いてきた日本ならではのソフト・パワーは決して失われていないと思います。
社会経済が Thrive の方向 に向かうにつれて、日本自身が認識していなかった日本のソフトパワーの強みが発揮されていく ことを信じています。