名前は”ゲット・バイ”。
奈良にある串カツ店である。オーナーの名前はヨシオ、64歳のバツイチ男だ。串カツ店にカタカナの名前をつけるのは珍しいが、ヨシオはこの”ゲット・バイ”という店の名前が気に入っている。
ヨシオは昔から、恋人や友人と一緒にいるよりも、一人でレンタルビデオを借りて映画を見ることが好きだった。
20歳前後の頃のある日、ヨシオは下宿先でアメリカ映画を見ていた。
字幕の表示に
「お前、そんな収入で生きていけるのか?」
「なんとかやっていけるさ」
というくだりがあった。
その「なんとかやっていけるさ」というところで、英語が全くわからないヨシオの耳に、はっきりと、ゲット・バイという音が入ってきた。
かっこいい、素敵な音だな、とその時ヨシオは思った。そのときは、それだけのことだった。ヨシオは英語とは無縁の生活を送ってきたので、この単語のこともそれ以来すっかり忘れていた。
49歳で妻と別れ、再び独身になったヨシオは、30年近く勤めていた会社を辞めて、退職金含めたすべての貯金を使って、ヨシオの大好きな奈良の地で一人で串カツ店を始めることにしたのだが、その店の名前を何にしようか考えた時に、なぜか突然このゲット・バイという音を思い出した。
「なんとかやっていく・・・、オレにピッタリじゃないか」
それから15年。ヨシオは串カツ店”ゲット・バイ”とともに「なんとかやってきた」。儲かってないし、店の作りも15年間変わっていないが、毎日同じ時間に開店してコツコツとやってきたおかげで何年も通いつづけてくれる常連さんもできた。
開店した時から「なんとかやっていく」ためにヨシオが固く守ってきたことが3つある。
一つ目は、残り物には手をつけないこと。残ったらフードバンクに寄付する。残った食材を調理して自分で食べるようなことは絶対にしない。ヨシオ自身「なんとかやっていく」ことに美徳を求める自分の性格の弱い部分を知っていたので、これをするとヨシオ自身への甘えにつながると思っていた。そのため、ヨシオはこれを自分のルールにして、開業以来毎回、適切な量の食材を仕入れて、全部お客のために使い切るように工夫をしてきた。
二つ目は、二人以上で入店するお客はお断りすること。入り口に大きく、「お一人様限定」と掲げているが、それでも、「二人でいいか」と尋ねられることは少なくない。子供に串カツを食べたいとねだられた父親、東京から二人で出張で奈良にやってきて、”ゲット・バイ”を魅力的に感じてくれたビジネスパーソンなど、様々だ。15年たった今も、そういったお客を断るのは心が痛むが、それでも初志貫徹でお一人様限定でやってきている。ヨシオは、フラッと入って、そこにたまたまいる人とたわいもない話をして帰っていく、そんな空間を作りたかったのである。一部の仲間内だけで会話をする、そんな例を一つでも作ったら、”ゲット・バイ”は自分の作りたい空間ではなくなってしまうとヨシオは思っていた。
そんなヨシオのこだわりから、“ゲット・バイ”には五角形のテーブルが一つしかない。五人で満員御礼である。五角形のテーブルが一つしかないので、一人で入ったお客同士、自然と会話になる。初めてあったお客同士がビールを奢り合うのを見るのがヨシオは好きだ。そんな時はヨシオも仲間に入りたくて、つい、串カツ1本を奢った方にも奢られた方にもサービスをしてしまう。後から知ったことだが、五角形には調和という比喩的な意味もあるそうだ。最高だ。
固く守ってきたことの三つ目は、「下ネタ禁止」。これは入り口に掲げるのではなく、ソースの「二度漬け御免」と並んで「下ネタ御免」と書いてある。下ネタを話すお客がいると、女性が一人で入れなくなるからである。ヨシオは”ゲット・バイ”を出逢いの場にしたいわけではない。ただ、どんな男性にもどんな女性にも、たまに一人で安心してフラッと寄れる場所が必要であり、”ゲット・バイ”はそんな場所でありたかった。「二度漬け御免」の表記が効果的なことと同様に、ソースに貼ってある「下ネタ御免」は効果的だ。かなりの確率で、お客が「なんやねんこれ!」とイジってくれるので、理由を説明すると、ほぼみんな、共感してくれる。ヨシオはいくら大事な常連のお客でも下ネタを言ったら「帰ってくれ」と言う覚悟をもって店を続けてきたが、今まで下ネタを話す客は一人もいなかった。
カラン カラン カラン
レトロな昭和の喫茶店のようなドアベルと共に、スーツ姿の50歳前後の男性が入ってきた。
今日もここから、新しいストーリーが始まる。