1. ウィリアム・ソウルゼンバーグ著『捕食者なき世界』
地球の自助能力を維持する上で不可欠な役割を果たす生物多様性が人類の存続にとって今や最重要テーマの一つであることに疑いの余地はありません。そして、この生物多様性への影響は環境破壊によって食物連鎖の底辺にある多様な生物の棲み家がなくなっているということだけでなく、食物連鎖の頂点にある大型捕食動物の減少が大きな原因であるということを、ウィリアム・ソウルゼンバーグ著『捕食者なき世界』(野中香万子訳、文藝春秋、2010年)は説明しています。同書では、ヒトデを特定の岩場から取り除くと、これまでヒトデに捕食されていたイガイが繁殖し岩場を覆い尽くすことになり、その岩場から生物の種が減少すること、ラッコがいなくなった海ではウニが大量に繁殖し、多くの生物の食料および棲み家として重要な役割を担っている海の森と呼ばれるケルプをそのウニが食べ尽くし、結果としてウニ自身を含めた多くの海の生物を死に追いやることなど、大型捕食者の生物多様性維持における役割についての様々な科学者による研究事例を紹介しています。
大型捕食動物がいなくなると、捕食者の脅威にさらされなくなった中間捕食者である草食動物が草を食べ尽くし、その大地を枯渇させます。同書は、この事象が、大型捕食動物に食べられる可能性があるという緊張感のために、草の葉の上の方しか食べるゆとりがない草食動物が、大型捕食動物がいなくなると緊張感から解放され、のんびりと、草の根まで食べ尽くすために引き起こされるということについても言及していています。中間捕食者の数が物理的に増えることだけが問題でなく、上位捕食者に食べられる可能性があるという緊張感から解放されることも問題であると言えます。このように、生物の生命のバランスは、物理的にも心理的にも様々な調節機能が働くことによって維持されていると言えます。
同書では、生物多様性の危機は、人類が大型捕食動物を捕獲するようになった1万5千年前から起こっていることを指摘しています。人類は、二足歩行を始めることによって、森を出て草原へとその活動領域を広げ、木という避難場所がない中で大型捕食動物と戦わなければならなくなりました。二足歩行によって拡大した人類の脳は様々な武器を開発し、人類は大型捕食動物に打ち勝つようになり、それまで大型捕食動物がピラミッドの頂点に君臨することで維持されてきた生物多様性が少しずつ崩れ始めることになったというシナリオを読み取ることができます。そして実際に大型捕食動物を人間の手によって再び自然に戻したところ、生物の種が復活しているという事例が紹介されています。日増しに失われつつある生物多様性は、人類の心がけ次第でまだ取り戻す方向に舵を切ることが可能ということも意味すると思います。
2. ショーン・B・キャロル著『セレンゲティ・ルール』
ショーン・B・キャロル著『セレンゲティ・ルール』(高橋洋訳、紀伊国屋書店、2017年)は、前掲ウィリアム・ソウルゼンバーグ2010と同様の科学的検証を事例としてあげつつ、さらに草原における火災の減少と牛疫ウィルスの除去との関係、凶作と殺虫剤と害虫の関係なども検証を行い、生態系における自然の調節のルールを説明しています。同書からは、人類が自然の中であらゆるレベルで存在している調節のルールを破ったことによって、生物多様性を失わせているということを読み取ることができます。そして、その調節のルールは、ヒトの体の外だけではなく、細胞や遺伝子といったレベルでのヒトの体の中にも存在していることを気づかせてくれます。同書は、調節には、『正の調節(高次の栄養レベルのボトムアップ調節)、負の調節(捕食者によるトップダウン調節:競合)、二重否定論理(栄養カスケード:AがBを調節することでCに間接的な強い影響を及ぼす)、フィードバック調節(密接依存調節:個体数が増加するにつれ、成長率は低下する)』があり、ヒトの一人一人の健康を支配しているルールも、生態系のルールも共に、この4つの調節のいずれかに属するといいます。『生命は通常、分子レベルから生態系のレベルに至るまで、私たちが考えている以上に長い、多数のリンクから構成される原因と結果の連鎖に支配されている。あらゆるレベルにおける調節のルールを理解し、それに介入するためには、私たちは個々のリンクと、それらの相互作用について知っておく必要がある』といい、生物多様性の危機は、生態系におけるそれぞれの調節のルールを理解した上で、そのルールから逸脱してバランスを崩しているものを発見し、それを再びバランスが保たれた状態に戻してやることが必要であるという示唆を示しています。
3. 自然の調節のルールにおける人類の役割とは
3. ヒトの「分かち合う」という特性
前掲ウィリアム・ソウルゼンバーグ2010、ショーン・B・キャロル2017の内容から、単純に、大型捕食動物が生物多様性の維持のために重要な役割を果たしており、それを捕獲することで自然の調節のルールを破った人類は悪だ、という考え方をすることは人類を自然の異端者として位置付けることになり、正しいとは言えないと思います。人類が大型捕食動物に打ち勝つことができるようになったのは、「道具」を使ったからだけではないと思います。人類もシャチやハイエナ同様に、「チームワーク」で活動する能力を持っています。チームワークと道具を兼ね備えた人類は、狩だけでなく、農耕という生産活動も実現しました。人類は、生物を減らすことだけでなく、自ら生物を育てるということも行なってきており、大型捕食動物を頂点とするピラミッドを破壊する立場でもありながらも、ピラミッドの底辺を支える立場も担ってきたはずでです。私は、この人類の捕獲と生産のバランスもある意味で自然の調節のルールに則って行われてきたのではないか、そのバランスを保つことができることこそが、自然の調節のルールの中で人類に与えられた役割ではないかと感じています。そして人類の活動がその物理的・心理的な調節機能の中で行われている限りにおいては、地球の生命のバランスを再生可能な状況に維持できるはずであると考えています。
今、私たちはそのバランスを逸脱し、生物多様性を減少させるとともに、地球環境を破壊する方向に向かっています。早い段階で修正すればまだ地球の自助能力を維持できるということがわかっていても、人類は再び、自然の調節のルールに戻ることはできないのでしょうか?
そこで私が重要と感じるのが、ヒトの「分かち合う」という特性です。NHKスペシャル取材班著『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』(角川書店、2012年)には、チンパンジーも道具を使うし、利他的行動を行うが、「分かち合う」という行動は行わないことが説明されています。本性として助け合う・分かち合うようにできているヒトと、チンパンジーとの違いにこそ、人類が自然の調節のルールにおいて果たすべき役割のヒントがあるのではないかと感じます。ヒトは動物を捕食するだけでなく、育てることもできます。ヒトはヒト同士で分かち合うだけでなく、自然とも分かち合うことができる能力が本来的に備わっているからこそ、生物だけでなく化石燃料にも無機物にも様々な機能を見出すという特殊な役割を持つことができたのではないかとも感じます。
前掲NHKスペシャル取材班2012では、約7万4000年前のインドネシア・トバ火山の噴火後、地球の気候が大きく変化して人類のほとんどが死に至っときに、わずかに生き残った人たちについてのアントローズ博士のコメントを紹介しています。『分かち合い、協力することを学んだ者たちが生き残り、トバ噴火後の世界に子孫を残したと思います。社会的関係やライフラインのネットワークを確立することがこの生存戦略のカギです。雨が降らなくなり自分たちの領土内の食料と水が尽きたとき、友人たちを訪れることができます。友人たちに十分な食料源があれば、滞在をさせてもらい生き残ります。逆に彼らの地域で飢饉が起きて食料源が尽きれば、彼らを受け入れます。このような戦略を適用した人々は、生存した可能性が高いのです。』
強いものが生き残るのではなく、変化したものが生き残るのでもなく、分かち合うものこそが生き残った、ということだと思います。テクノロジーが進んだ現代では、選別されたものだけが生き残る、という格差社会を導いていますが、「分かち合う」ものが生き残る、という方向に舵をとることが出来るでしょうか?民泊や相乗りタクシーのようなシェアリング・エコノミーや太陽光・風力などの再生可能エネルギーは、まさにこの「分かち合う」という発想と一致しているでしょうか?
また世界で最初に超高齢社会を迎えた日本が地域包括ケアシステムによる新しい地方自治の形を実現しようとしているのも、「分かち合う」という発想と一致していると思います。
自然の調節のルールを理解する上でも、それを人類に周知する上でも、またそれを協力して維持していく上でも、ビッグデータやAIのような新しいテクノロジーが大いに活躍できると思います。地球環境が危機に直面している今こそ、人類の技術を駆使して、地球上のあらゆる生物と分かち合い、自然の調節のバランスを保つための役割を果たすべき時だと思います。
行政書士事務所好白は、環境、技術、Quality of Life、継承・契約・権利、国際(「かきくけこ」)の5つが調和して、サステイナブルな社会が実現すると信じて取り組んでいます。