ノブはタカシの隣の席に座った。五角形のテーブルでは、キヨミの斜め前に座っているタカシの左隣は、キヨミの右隣だ。ノブが座ったのは、タカシの右隣、つまりキヨミの隣ではなく、キヨミの斜め前。
どこを見ているのか分からない視線で、椅子の背もたれを持ち、ガガガと音をたてて椅子を引き、座った体はどこか斜めになっている。今日もビールと串カツセット5本セットしか注文しないのに、相変わらず、じっとメニューを見ている。
タカシのビールはもう5杯目だ。どんどん饒舌になり、ノブが入ってきたことも全く気にかけない。
「農地ってのはね、そもそも買いたくても買えるものじゃありません。もちろん市街化区域なら法律上のハードルは下がりますよ。税金とかいろいろ制度もありますよ。でもね、一番大事なのは、気持ちですねん。先祖から受け継いできた大事な土地を、私たちみたいな開発業者に売るっていうのは、ご先祖様にきちんと説明して、天国にいるご先祖さまが納得してくれるような理由も必要なんですよ。そのへんの気持ちを理解するためには、農業のことが分かってないと、無理ですねん。」
「みんなね、世の中は、需要と共有で成り立ってると思ってるでしょ?そんなわけあらへん。金で愛は買えんし、人はみんないつか死ぬ。需要と供給で成り立っているものなんて、取り返しのきくわずかなものだけですよ。」
「農業ってのはね、その取り返しの効かないものを相手にしてるんですよ。土壌、土の中にいる微生物、天候。大事に育てた野菜が明日収穫って時に、集中豪雨に襲われることだってある。」
「土は耕せば、豊かになる。でもそれは、人間がコントロールしてるわけではなく、人間も微生物と同じように、作物が育つための役割を果たしているってことですよ。人間がコントロールできないものを相手に仕事を続けてきたのが農家の人たちですねん。」
聴いているか、聴いていないか、タカシは何も気にせず喋り続ける。でもヨシオは聞いているし、実はキヨミもスマホを見ながら、耳をそばだてている。
「人間がコントロールできるのは、人間だけすよ。これもね、私はね、昔の人はすごいなあって思うですよ。1年を12ヶ月に勝手に分けたせいで12月は忙しい思いをするわけでしょ?でもそうやって分けたおかげで、農業のサイクルが成り立っている。1日を24時間に勝手に分けたせいで、毎日毎日時間がないって、いわんといかんわけでしょ?でもそうやって分けたおかげで、いやなことをすっかり忘れて、毎回すがすがしい朝を迎えることができる。」
ノブは注文をするタイミングをはかりかねているいるようだ。相変わらず目はメニュー表を覗き込んだままだ。
「私は思うですよ、人間が毎日嫌なことを忘れて、毎年収穫を祝う。そういったね、つまりね、愛がね、野菜にとっての一番の栄養ではないかってね。どんな仕事でも一緒ですよね。いやいややったらうまくいかんけど、喜んで、楽しんで、感謝して取り組んだら、なんだかんだで最後はうまくいく。」
「だからね、1年を365日に分けたりとか、1日を24時間に分けたりっていうのなのはね、お月様とかお日様の事情ではなくって、私たち人間が、野菜に愛を伝えるためじゃないかと思うんですよ。そうやってにこにこして農業をしていたら、お天道様も味方してくれて、たまには怒って災害を起こすけど、なんだかんだで人間は必要だって、何千年も人間を生かし続けてくれたんじゃないかなってね。」
ノブがヨシオにようやく注文をする。
「大将、ビールと串5本セット」
ヨシオがビールをノブのところに持っていく。普通の仕草だが、どこか絵になっている。
饒舌なタカシは、その間、話をやめ、ヨシオがノブの前にビールを置くのをじっと見ている。より正しく言うと、タカシがじっと見ているのは、ビールジョッキの中のビールの、下から漂いながら昇っていっている小さな気泡達だ。
それに気がついたノブが、ジョッキを挙げ、タカシの方を見ながら、もう少しジョッキを上にあげて、小さな会釈をする。
タカシは自分のジョッキをぐいっと前に差し出し、ノブに対して
「乾杯」
と言った。
ノブはジョッキをタカシのジョッキに軽く当てたあと、ビールを一口飲み、チラッとキヨミの方を見た。キヨミは相変わらずスマホの画面を見ている。