五角形のテーブル:第五話環境

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ノブがこの近くに引っ越してきたのは2年前。4回目の転職だがずっと不動産業を渡り歩いている。まだ30代半ばだが、宅地建物取引士の資格を保有している。おそらく会社では期待のポープと言われていてもおかしくないが、いつもどこかおどおどしていて、あまり対人関係は得な方ではないようである。

ルックスは悪くないが、特別良いということもない。背の高さも普通で、体格も普通だ。まじめで正直者という印象を受ける。ヨシオはそんなノブが、キヨミがいる時に限って店に来ることをほほえましく思っていた。もちろん、キヨミがいるかどうかを確認するために、ノブが毎日仕事帰りに、外から店の中を覗いていることを知っているのは、ヨシオだけだ。

「おにいさん、仕事帰りかい?」

ノブが乾杯にあわせてくれたことを、自分を拒否しないサインと感じたタカシは、安心してノブに話しかけた。キヨミに対してもノブに対しても、タカシはこれまで気にかけていなかったのに、いざ話をするとなると、緊張するようだ。おそらく過去、お酒で失敗をしたことがあるに違いない。

「一旦家に帰ったんですけど、ちょっとお腹が空いたので」

タカシの問いかけに対する返事だが、ノブが意識しているのは、それを聞いているキヨミの方だ。もちろん、キヨミの方は、ノブが腹がへっているかどうかなど、関心はない。

「ちょっと腹がへったときに、ビールと串5本セットはピッタリですね。」

「ははあ」

タカシのノリにノブはどう返せばよいのか分からない。自然と出た言葉がこの「ははあ」だ。

仕事で物件の下見に客と行くときも、ノブと客との会話はこんな感じである。

客に、「いい物件を紹介してくれてありがとうございます。」と言われたときにも、いつも口から出るのは「ははあ」という言葉だけだ。客が喜べばもちろんうれしいが、それをどう表現すればよいか分からない。

ノブにとっては、仕事だから物件を紹介しているのであって、客が喜ぶかどうかよりも、成約されるかどうかが関心事だ。

売れる営業マンは、客を見て、どれくらいお金を持っていそうか、とか、他にどんな不動産屋を回ってきたか、とか、どうすればすぐに成約するか、といったことを瞬時に考えて動くが、ノブの場合、「成約が欲しい」と思っている自分自身の気持ちが客にばれることをいつも恐れてしまう。

下見で客が喜んだのを見た時に、営業マンがすぐにしなければならないのはクロージングだ。

一般の営業マンならば、待ってましたとばかりに、「人気の物件なので、他にも下見がたくさん入っています。」などといって、客を少し焦らせて、それでも客がすぐに決断できないようならば、

「それでは○○さんのために、〇日間、この物件を押さえておくので、〇日以内にご連絡いただけますか」

と白黒はっきりさせることを促すだろう。

ノブも、そういったクロージングをしなければならないことは分かっているが、自分が言ったら、たとえ事実でも嘘っぽく聞こえるのではないか、と気になってしまい、口から出るのはいつも「ははあ」だけである。

ノブは顧客の好みにあう物件を選んで紹介することは得意だが、成約率はいつも低い。ひとえに、クロージングができないからだ。そもそも、ノブが30代半ばにして4回も転職しているのは、輝かしい実績をもって次の挑戦をするためにステップアップしているのではなく、いつも「この会社にいても俺は伸びないな」と思って、環境を変え続けているからである。

ノブは生まれつき目が悪く、小学1年生には眼鏡をかけていた。当時、小学1年生で眼鏡をかけている子は少なかったので、クラスでは、ノブと言えば眼鏡、眼鏡と言えばノブだった。仲の良い友達からはノッチャンと呼ばれていたが、あまり仲の良くない友達からは、たまに「眼鏡」と言われた。

ノブは眼鏡と言われるのがずっといやだった。小学4年生で、ノブは転校をした。転校先のクラスでは、ノブ以外にも何人も眼鏡をかけている子がいた。転校先ではノブは「眼鏡」とは言われなくなった。誰もノブのことを「眼鏡」と呼ばない。それだけで、ノブは一つ、成長した気がした。

中学3年生まで、通知表はほとんどオール3だった。一度だけ、国語で5をとったことがあり、一度だけ美術で1をとったことがあったが、それ以外はたくさんの3と、ほんの少しの2と4が並んでいる通知表だった。背の高さも真ん中で、おとなしい性格だったので、学校では目立つこともなかった。

高校に入ると、ノブはコンタクトレンズにした。すると、周りから、「かっこいい」と言われるようになった。ノブはこれまで自分が「かっこいい」となんて思ったこともなかったし、女の子にモテるどころか、女の子とまともな会話をしたこともなかった。

まさか自分が「かっこいい」と言われる日が来るなんて、考えたことすらなかった。中学校にはかっこいい友人がたくさんいた。通い始めたばかりの高校にもかっこいい奴らがたくさんいる。まさか、自分が、そいつらと同じになるなんて、信じられなかった。

その時に、ノブは「どうせなら本物のかっこいい男になってやろう」と思うのではなく「眼鏡をかけていたことは隠そう」と思った。

転校をして「眼鏡」と言われなくなったこと、高校に入ってコンタクトにしてから、「かっこいい」と言われるようになったことから、ノブは、「環境を変えることで自分が変われる」と思うようになった。

高校まで滋賀県で育ったノブが、兵庫の大学に行ったのも、大阪の不動産会社を2社経験して、京都の不動産会社に行って、それから奈良の不動産会社に転職したのも、「環境を変えることで自分が変われる」と思ったからだ。

酔っぱらっているタカシは、ノブがどんな返事をしようと気にしない。

「若いっていいね。私も若い頃は、いつも腹が減っていたよ。」